目を閉じて息を吸うと、古い紙とインクの臭いを感じた。 息を吐きながら瞼を持ち上げていくと、そこには部屋いっぱいにぎっしりと詰め込まれた書物達。元々物置だったこのこじんまりとした部屋に棚を運び無理矢理そこへ本を詰めたらしいのだが、持ち主の性格のせいだろう。一見乱雑に放り込まれたかように見えて、パズルのようにそれぞれがふさわしい場所にはめ込まれているような印象を受けた。 はぐるりと部屋を見渡す。ずらりと並ぶ様々な背表紙は、まるで歴代の皇帝の肖像画のようで。そこに刻まれた文字はきっと神聖で厳かなものに違いないのだ。は恍惚とした表情を浮かべ、ため息を吐いた。 「あぁ、またここにいた」 ふいに、背後からのんびりとした声。 慌てたようにが振り返ると、腕を組んで石の壁に寄りかかる男の姿があった。何が楽しいのか、にやにやと笑っていた。 「あの、お邪魔してます、パラケルススさん」 いつ来たのだろう。なんとなく気恥ずかしくて、の頬がほんのりと赤く染まる。 「そんな緊張しないで下さいよ、とって食ったりしませんてば」 パラケルススはおどけたように手をひらひらと振るが、緊張しないでと言われて簡単に緊張が解けるならば苦労はしない。はい、と言ってが小さく笑ってみせたが、パラケルススは素早くその緊張を読み取った。 「いつになったら慣れてくれるんですかねぇ、さんは」 パラケルススは困った時に頭を掻くらしい。が父親に頼まれて薬を買いに来るようになってから随分経つが、最近ようやくそれを知った。 「すみません、昔から人見知りが激しくて」 が苦笑すると、パラケルススは悪戯めいた笑みを浮かべた。 「そのわりにうちの子達とはすぐ仲良くなったようで」 「え?」 パラケルススが両手を大きく広げてみせる。一瞬、サーカスの団長という言葉が頭をよぎる。一座を従える団長。数々の書物の持ち主。知識を統べる者。 「さん、一目惚れしたんでしょ」 貴方を初めてこの部屋に案内した時のこと、覚えてます? 覚えています。覚えていますとも。あの時の戦慄を私は生涯忘れることは無いでしょう。 「貴方が此処へ来るようになってから、わりとすぐでしたっけね。秋だったような気がする。そうだ、寒くなり始めた頃。さん、外が寒いもんだから頬が真っ赤になってましたもん。あの時は薬を用意し忘れてしまって申し訳ないことをしましたね」 「いえ、むしろ感謝してます。あの時パラケルススさんが私を待たせることがなかったら、私はきっとこの部屋に来れなかったでしょう?」 はそう言ってふわりと微笑んだ。パラケルススはその表情にどきりとしたけれど、平静を装って話を続ける。 「まぁ、確かに…この部屋で待ってて下さい、なんて他の用事じゃあ思いつきませんな。で、アタシが薬を持ってきてみたら、」 パラケルススはその時の様子を思い出したのか、小さく楽しげな笑い声を挟んだ。 「さん、神様でも見るみたいに眺めてるもんだから。気がついたら、いつでも入っていいですよ、って口が勝手に」 そう言ってパラケルススが自分の口の端を指でぐいと引っ張ってみせるものだから、の口から笑いが零れた。ひとしきり笑った後、が先に口を開いた。 ⇒NEXT |