「私、文字が読めないんです」 「だけど、好きなんでしょう」 パラケルススは驚くでもなく哀れむでもなく、静かに言った。 「不思議ですよね。でも、この部屋に入った瞬間、知識に圧倒されたんです。私がこの中身を知ることはきっとないんでしょうけど、ここにある本には知識が詰まってて…なんて言うんだろう、深くて古くて、でも暖かくて穏やかな海。その中に放り込まれたような気分になったんです」 そこまで言ってから、は自分が珍しく饒舌になっていたことに気付き、戸惑いと恥じらいを覚えた。 「成る程ねぇ」 パラケルススは考え込むように自身の顎に手を当てていた。はそこからどんな感情を読み取ればいいのかはわからなかった。 がどうしようかと迷っていると、パラケルススがぽつりと呟いた。 「そうするとアタシは知識に溺れた哀れな道化ってところか」 「え?」 「いえいえ、軽い冗談ってやつですから、あまり気にしないで下さいな」 「はぁ」 今の、どういう意味だろう。が考えるより前に、パラケルススは質問をぶつけた。 「さんは中身を知りたいと思いますか」 「それは、まぁ…あ、でもちょっと怖いかもしれません」 人を圧倒する知識。ふと、イカロスの翼を思い出した。天に近づきすぎて翼をもがれた者。じゃあ知りすぎた者は? 「流石さん。恐怖は時に賢明の証。知ることは時に罪となるもんです。興味本位で箱を空けたらそこには絶望、ってね」 「…そこまで言われると逆に気になっちゃいますけど」 「空けますか」 パラケルススの瞳がを射抜く。まるで石にされてしまったかのように体が動かない。そうか、知識だ。は止まりかけた思考の片隅で思う。私はこの人の瞳に宿る知識に飲み込まれてしまうのだ。 そしてそれは悪くないことのように思えた。 けれど、それはほんの一瞬で消え去ってしまった。目を何度か瞬かせてみたが、そこにはいつもと変わらないパラケルススしかいない。混乱する頭で、今のは夢だったのだろうかとは首を捻った。目をぎゅっと強く瞑ってから、改めてパラケルススを見る。と、そこにはだらしない笑みが浮かんでいた。 「いやー、さんって意外と積極的ですねぇ。照れちゃうなぁもう!」 「え?」 「でもさんがそこまで言うなら、アタシも本気で男として頑張っちゃいますよ」 ふふふと自分に酔うように笑ってから、パラケルススはびしりと音がする勢いでに手を差し伸べた。 「ちょっ、ちょっとパラケルススさん!?何言ってるんですか!」 「あら、さんが男としてのアタシを知りたいっていう話じゃなかったんで?」 「違います!」 は顔を真っ赤にさせてそう叫んでから、転がるように部屋を飛び出していく。あらあら、とパラケルススは苦笑しながらそれを見送った。それから、また来ます!というの声。廊下を駆ける足音が遠ざかるのを聞きながら、パラケルススは嬉しそうに笑った。 |