あにさま

「兄様、兄様」
 よく聞き覚えのある声だ。けれど、それは左衛門の妹のものではなかった。
「…、俺はおぬしの兄になった覚えはないがのう」
 振り返ると、柔らかな笑みを浮かべた娘が立っていた。
「あら奇遇!私も左衛門殿の妹になった覚えはないんです」
 楽しげに言葉を返すに、左衛門はやれやれと頭をかいた。
「まるでお胡夷が二人のようだ…どうした、?」
 急に笑顔を引っ込めてしまったに、左衛門が疑問の声をかける。
「…やっぱりお胡夷さんが出てきますよね」
「あれはいつも兄様兄様と煩くて適わんからな」
 それが決して嫌だと言う訳ではないが、左衛門はわざと大げさにため息をついてみせた。
「左衛門殿だっていっつもお胡夷、お胡夷って」
 左衛門の真似をするように”お胡夷”の名を連呼するを見て、左衛門は苦笑する。
「まぁ、妹だからのう」
「それにしたって。左衛門殿はまるでお胡夷さんに恋をしているみたいです」
 つんと言い放つを見て左衛門は、はて、と思う。普段から物腰が柔らかなにしては、妙に棘がある。何か悪いことでもしただろうかと記憶を手繰り寄せるが、左衛門には思い出せない。そこでふと気づく。
、おぬしもしや…妬いておるのか?」
 はむすりと黙り込んだ。肯定である。子供のように顔を背けるを見て、左衛門は笑い声を上げた。
「わ、笑い事ではありません!」
「いや何、俺は果報者だと思うてな」
「もういいですっ」
「そう言うな」
 左衛門は笑みを隠さず、背中を向けたを抱き寄せる。
「もう俺のことを兄と呼んでくれるなよ」
「…私はお胡夷さんではないですものね」
「そうじゃ。俺はな、、おぬしを愛しておる」
 それに、と左衛門は付け足す。
「もし兄であったならば、のことを抱けぬであろう?」
「さ、左衛門殿…!?」
 悪戯めいた笑みを浮かべる左衛門に、は身の危険を感じる。まだ早朝である。まさか、そんなはずはあるまい、とは必死に自分の中で否定する。
「俺を兄と呼んだ罰だと思うて覚悟せい」
 は二度と兄と呼ぶまいと心に誓った。

>> 戻る <<