昔、夢を見たんだ。
 夕暮れに染まった草原を見ながら、ヴィラルはぽつりと呟いた。
「俺の娘がな、笑顔で駆け寄ってくるんだ。手には花で作った輪を持っていて、それを俺にくれて。すごく嬉しそうで…俺が娘を抱き上げてふっと横を見るとな、妻がいた」
 その時の感触を思い出すように、ヴィラルは自身の獣じみた手を見つめた。実際に触れた訳でもないのに、今でもその暖かな感触を覚えているような錯覚に陥る。存在しないはずの娘に触れた手。ヴィラルはその手を静かに握り締めた。
「それから、空を見たんだ」
 ヴィラルは夕焼けに染まる空を見上げた。あの時、この瞳は駆け抜ける光の数々を見た。光。けれど今、空には光なんてなかった。あるのは穏やかな紅色だけ。
「夢は、それで終わりだ」
 ヴィラルはそう言った。言った癖に、視線は空から外れない。その姿は、見えるはずのない光を探しているようにも見えた。

 空を見つめたままのヴィラルに、は何と声をかけたら良いのかわからなかった。できたのは、そう、と小さく呟くことだけ。
 随分一緒に過ごしてきたけれど、はヴィラルが見ているものの正体を知らなかった。
 は思わず俯く。俯きながら、泣くな、と自身に言い聞かせる。自分に彼の何がわかっているというのか。彼の背負っているものの全てを知っている訳でもないのに、泣く訳にはいかなかった。泣く権利なんて無いのだ。
 代わりに、今目の前にいるヴィラルを見る権利はあると思った。
 全身に力を入れる。見る、という行為はこんなに大変なことだったろうか。けれど、見なければ。重力に逆らうように顔を上げる。ヴィラルの姿が目に入った。
 泣いてくれたら良いのに、と思った。
 いっそのこと泣いてくれたら彼を慰めてあげられるのに、と。優しい言葉をかけるだとか、ただ抱き寄せてあげるだとか。そんな月並みなことしかできないだろうけれど、何かしてあげることができたのに。ただの自己満足でしかないとしても、それでも何かしてあげたかった。
 それなのに、目の前にいる男は泣きそうにもなかった。それどころか穏やかな笑みさえ浮かべていた。
 甘い夢だった、と彼は言った。
 夢だ、と。
 いけない、いけないと思いながらは必死に涙を堪える。ふと、空を見上げていたヴィラルがこちらを見た。今にも泣き出しそうなを見たヴィラルは困ったように笑う。優しい目をしていた。やめて、とは思う。泣きたくて泣きたくてたまらなくなる。
、ありがとう」
 俺の夢に付き合ってくれてありがとう、とヴィラルは言った。普段聞き慣れないような優しい響きを持った言葉は、を泣かせるには十分だった。

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