桜が見たい。 突然何を言い出したかと思えば。拒否する暇も与えられずに、半ば引きずられるように外へと出た。 この娘はいつもそうだ。こちらの都合に構わず人を振り回す。 それでもと言う娘が自分にだけ笑顔を向ける状況というのは、くだらない独占欲だと言ってしまえばそれで終わりなのだが、酷く心地の良いものだった。 だから自分は黙って振り回されるのかもしれない。 手を引かれながら、浅く息を吸った。 久しぶりの外の空気。吸い込まれるように移り行く景色。 外に出る時は大概がその中にいる。その所為だろう。時々この空間は彼女が作り出しているんじゃないかと思う時がある。 なんて馬鹿げた妄想だろう。 現実だとか理論だとかの中で生きる自分にそんな心があったとは。ため息を吐きながらも、阿近は嫌悪感と同時に温かいものを感じた事は認めざるを得ない。 と、突然路地から抜け出て視界が開ける。一瞬世界が変わってしまったような錯覚に襲われた。 たった一本の木が、悠然と立っていた。 「桜」 の弾んだ声が、しんとした空気に響いた。 嗚呼、そうか、春か。 ぼんやりと思う。そう思う程に季節という感覚は酷く遠い所にあった。 汗ばんだ手をするりと抜けて、は木の幹に手を重ねた。 「桜の木の下にはね、死体が埋まってるんだって」 の唇が曲線を描く。幼さを残したはずの笑みが、時折酷く妖艶な美しさを見せるのは何故だろう。 「何だって?」 動揺を微塵も出さずにそう問い返す。 「掘ったらしゃれこうべが出てくるの。あぁ、怖い」 「全然怖そうには聞こえないんだが」 「阿近さんは?怖くない?」 こちらの指摘はまるで耳に入らないようで、は好奇心を秘めた瞳で顔を覗き込んできた。 「…俺を何だと思ってるんだ」 「局の人」 ああそうかい、と小さくため息を吐く。 それに呼応するかのように、風が吹いた。ざぁぁ、と桜の木々が揺れる。腕で顔を庇う。その間から見える花びら。 桜。 一瞬、風に攫われた花びらが全てを埋め尽くしたような気がした。その中で、の声だけが耳に響く。 「私もいつの間にか桜の木の下に埋まっているのかもしれないね」 普段あんなに能天気な癖に。ふとした瞬間どきりとさせられる。 恐らくこの娘は尊いものだとか儚いものだとかを理解しているのだろう。あるいは、しすぎているのかもしれない。 「ねぇ、阿近さん」 言葉に呼応するかのように風が止んだ。それでも花びらは散るのを止めない。 阿近が盾に見立てていた自分の腕を降ろしたその先には、の姿。笑っていた。 は頭の良い娘だ。同時に、純粋な感情を持つ幼さも兼ね備えていた。相反するはずの二つの属性がの中で恐ろしい程綺麗に混ざり合っている。この絶妙な均衡を彼女はどうやって生み出しているのだろう。疑問に思わずにはいられない。 「土の中で誰にも気づかれずに眠るのは嫌だなぁ」 しゃがみ込んで桜の根本を何処か慈しむかのように撫でる姿は、やはり幼子を思わせた。が時折酷く寂しげに見えるのは、それらの所為なのかもしれない。 「ちゃんと墓に入れてやるから安心しろ」 自然と存外優しい響きを持った言葉が出た事に、阿近は自分自身で驚いた。が、決して悪い気分にはならなかった。 「ありがとう」 はこれでもかと言う程、嬉しげに笑った。桜でさえ色を失うような。 この娘はいつもそうだ。現実だとか理論だとかを忘れさせる。 |