桃で鬼退治はできない

 突然、肌にぴりりとした痛み。

「てめぇいきなり何しやがる」
 ぐいと頬に押し付けられたもの片手で押し返すと、は悪戯めいた笑みを浮かべた。それから、
「鬼退治」
 と左手を腰に当て自慢げにそう言った。一体その自信は何なんだお前、と言いかけてから長曾我部は言葉を飲み込む。が右手に持っているものの方が気になったからだ。
「その桃、どうした?」
「だから、鬼退治」
「それはもう聞いた」
「そう急かさなくても。行商さんが下さったの、道案内のお礼だって」
 はそれを思い出すように桃の表面を撫でた。
「また知らない奴にほいほいついてきやがって…」
「いい人だったよ」
「そういうんじゃなくてだな…まぁいい、貸せ」
 長曾我部が手を出すと、は桃をさっと背後に隠した。
「鬼に桃は倒せないんだよ」
「鬼は桃太郎を倒せねぇがな、桃くらいなら倒せんだよ」
 面倒臭そうに言った言葉だったが、は気に入ったらしい。楽しそうに笑うと、桃を長曾我部に軽く投げてよこした。
「なぁ、俺がこれ全部食ったらお前怒るか?」
「元親を殺して私は死なない」
「冗談だっての…てかお前、それは酷いんじゃねぇか」
「桃泥棒に言われたくありませんー」
「お前の価値観ありえねぇ」
 会話を交わしているうちに長曾我部は桃の皮を剥き終える。先に一口食ってしまおうか、と悪戯めいた考えが浮かんだが、があまりに期待した目で見つめてくるのでやめた。
「ほれ」
 桃を差し出してやると、が一気に花が咲いたような笑顔を浮かべた。これも悪くねぇなと長曾我部は小さく笑った。
「いただきまーす」
 と、は顔を寄せて桃にかぶりついた。
 瑞々しい桃にの柔らかな唇が触れた。柔らかな果肉を堅い歯が削り取る。傷口が開いたかのようにじわりと果汁が溢れ、甘い香りが立ち込めた。が口に含み損ねた果汁は、その唇を伝ってゆっくりと流れ落ちていく。
 長曾我部はから視線を逸らせない。
 抱きてぇ、と思った。
「うわ、べったべた」
 が手の甲で口元をぬぐった所で、長曾我部ははっと我に返る。何もしていないのに何だか気まずさを覚えたので、誤魔化すように言葉を吐いた。
「汚ぇな」
「食べ物を前に私が行儀なんて気にするとでも?」
「仰るとおりで」
 長曾我部は肩をすくめて桃をかじる。甘い。いい桃だ。もう一口かじる。やはりうまい。
「全部食べないでね」
「お前ほど食い意地ははってねぇから安心しな」
 と言いつつももう一口かじってから、再びの方に差し出してやる。が笑う。花のように。
「ありがとう」
 が桃にかぶりつく。唇が触れる。歯が削る。肌を伝う。甘い香り。
 甘い、桃。

 瞬間、抱こうと決めた。

 手から落ちた桃は地面で潰れていた。

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