| 「はい、」
出会い頭に、にこにこと笑顔で差し出された大きな手。この笑顔としなやかだが男らしい手に、女は簡単に吸い寄せられてしまうのだろう。 そう考えると、はいつも苛々する。 − だから、嫌い ‐
「何か御用ですか、龍井様」 「おや、随分ご機嫌斜めだね」 「そんなこと」 口では否定しつつも不機嫌さを隠そうともしないを前に、龍井は困ったように笑った。どうしてこの男はいつもこんなに穏やかでいられるのだろうか。には不思議で仕方が無い。 「今日はバレンタインだから。から貰えないのかなぁと思って」 それが、冒頭の笑顔と手の意味。どれだけ自信家なのだろう、とは苛立ちを通り越して呆れてしまう。 「…龍井様は嫌という程、本気度の高いものたくさん貰ってるでしょう」 「否定はしないよ」 肩をすくめる龍井の顔は、腹立たしい程好青年である。だから女性歌士官が群がるのだ。いつかはこの人の一番になりたい、そう恋焦がれて。たくさんの菓子は、その想いが具現化された証拠だ。 そうはなりたくない、は願う。この男に恋焦がれて、この男の愛を得ようと必死に追いかけるのなんて。そんなのまっぴらだ。 「龍井様にお渡しする菓子も、想いも、私は持ち合わせておりません」 視線も合わせずぴしりと言い放ち、その場を立ち去ろうとするの手首を龍井の大きな手が捉えた。 「誰か、他の男に渡すのかい?」 普段よりも低い男の声。その響きに驚いたが、思わず龍井の顔を見上げる。男の瞳に、焦りに似た揺らぎが見えた。いや、そんな気がしただけだ、とは瞬時に考えを消し去る。それなのに、心臓は早鐘を打って止まる気配がない。 「?」 と、次の瞬間には、いつもどおりの柔らかな龍井の声。やはり気のせいだったのだ。ただの勘違い。そう思うと、の心臓はひやりとした冷たさに覆われた。もう龍井の顔を見てはいられなかった。 「私、もう行かないと」 はそうぽつりと呟くと、気だるげに男の手を振り払った。 私、他に好きな人がいますから。 嘘でも良いから、そう言いきってしまえば楽になれたのに。悔しいことに、は何も言えなかった。 去り際にもう一度、ぼんやりと龍井の顔を見る。男は寂しげな笑顔を浮かべていた。思わず手を伸ばして抱きしめたくなるような、そんな笑顔。それは、今までどれだけの女に向けられてきたのか。 泣きたくなるのを必死で堪えながら、が足早に執務室に戻ると、ふ、と花の香り。机の上を見れば、抱えきれないくらいの大きな花束が置かれていた。どれも見覚えのある花ばかり。庭弄りの好きな男の笑顔が頭に浮かんだ。堪えていた涙が堰を切って流れる。 嗚呼、あんな男、好きになんかなりたくないのに。 |