目立つ女

 ヒィッツにとってはつまらない付き合いの場だ。今後の作戦に関わってくる要人の姿と、会場の確認はこれで済んだ。これ以上この場にいる必要もない。
 しかし、楽しみ方は他にもある。
 ぐるりと会場を見回す。男女はそれぞれ礼服やらドレスやらに身を包み、シャンデリアの下でグラスを片手に談笑している。会場の豪華さは勿論、人々の間を行き交う給仕達の衣服から身のこなし方までが上品で、一般人ならば恐縮してしまうような場であった。しかしヒィッツという男はその中であっても堂々と佇み、周囲の(主に女性の)羨望の眼差しを集めていた。ヒィッツはその眼差しのいくつかを辿る。これくらい楽しんでも罰は当たるまい、というのが彼の主張であった。
 ヒィッツが今宵の相手を決めかねていると、一人の女が目についた。別に視線を送ってきた訳ではなく、むしろ周囲のことなど視界に入っていない様子だった。きょろきょろと視線を彷徨わせており妙に落ち着かない素振りだが、怪しい訳ではなく、単にこういった場に不慣れなだけだろう。しかし、それだけならば別に珍しい存在ではない。
 ヒィッツが目を離せなくなった理由はただ一つ。その女の美しさだ。
「あの女、見かけない顔だが…何者だ?」
 ヒィッツは女から視線を逸らさず、部下のローザに答えを求めた。しかしローザも首を捻る。
「さぁ、なんだか不慣れな様子ですけど…孔明様にいただいたリストには載っていないし、重要人物ではないかと」
「そうか。ならば接触したところで問題は無いな」
「あまり遊びすぎると、そろそろ刺されますよ」
「俺がそんなミスをすると思うか?」
 後腐れの無い関係を築くのは得意だとヒィッツは言うが、影で泣かされてきた女達を何人も知っているローザは呆れて閉口する。
「…まぁ、程々に」
「わかっているさ」
 ヒィッツの意識は既に標的の女にのみ集中していた。視線を女から外さず、近付いていく途中で給仕の運ぶシャンパンのグラスを二つ、流れるように掴み取る。
 女は既に数人の男達に囲まれていたが、この壁を崩すことはヒィッツにとっては容易い。
「失礼。シャンパンは飲まれますか?」
 女のグラスが空になったことは既に確認済みだ。ヒィッツが優雅な仕草でグラスを差し出すと、女が振り向いた。近くで見る大きな瞳は長い睫で縁取られており、ふっくらとした唇は艶やかだ。ゆるりと結い上げた黒髪、そこから流れる首筋のラインの美しさはさらに全身へと続いている。首元にかけられた真珠の輝きは本物だろうが、女の肌はそれにも負けず輝き瑞々しい白さを保っていた。指先がやや荒れている以外は、ヒィッツの合格基準に十分達している。
 これは当たりだな、と口笛でも吹きたい気分は、残念ながら次の瞬間崩れ去ることになる。
「ヒィッツ様もいらしてたんですか!」
 聞き覚えのある声。その発信源を周囲の人間に対して求めたくなるが、ヒィッツは目の前の女の口から発せられた瞬間をしっかりと捕らえていた。
 化粧っ気もなく白衣に眼鏡にと野暮ったい格好をしている女と、目の前にいるドレスに身を包んだ美しい女とが、ヒィッツの中で見事に重なる。
「貴様…か!」
「何を言ってるんです?私に双子の姉妹などはいませんよ」
「知っている」
「そうでしたか」
 苦々しげに呟くヒィッツに、は飄々と返事をする。
 完全なる誤算だ。ローザはこのことを知っていたのだろうか。ヒィッツの殺気を感じたのかどうかはわからないが、問い質そうにもローザの姿は既になかった。
「でも、会えて良かった!」
 は知り合いに合った心強さからか先程までのおどおどした様子は消え、むしろはしゃいでいるようでさえあった。その調子の変わり具合と相手がヒィッツであったことから、先程から周りにいた男達は彼女を手に入れることは無理だと悟ったらしい。礼もそこそこに他の花を探しに消えて行った。
「それにしても、ヒィッツ様がいらっしゃるとは思いませんでした」
「こういう場には表の知り合いも多いからな…それよりも何故、貴様がこんな所に?」
「いえ、実は研究の一つが表立ってしまいまして。先日、授賞式に出たんですよ…孔明様に言われたら断れないでしょう?」
 公の場って苦手なんですけどねぇ。堅苦しいのは、どうも。そう言って女が無作法に頭をかく。その気取らない仕草は、普段のそのものだ。
「で、その時の参列者の方が、今回のパーティーの主催者のご友人だったらしいんですよ。招待状をいただいたことを孔明様にご報告したところ、折角だから有力者に顔を売っておくのもいいだろうって」
「成る程な」
「で、これがまた慣れないものですから、サニー様に相談したんです。そうしたらセルバンテス様とお二人で、随分張り切ってしまわれて…」
 この様です、とはドレスの裾をぎこちなく持ち上げてみせた。
「感謝はしているんですが…慣れぬ格好は肩が懲ります」
 後腐れの無い関係を築くのであれば、肩が凝るそのドレスを脱がせてさしあげようという展開にでも持っていくのだが、何せ相手はである。触手を動かせず、ヒィッツは押し黙った。
「ヒィッツ様?具合でも悪いのですか?」
 言葉少ななヒィッツを不思議に思ったのか、が小首を傾げて顔を覗きこんできた。眼鏡をかけていない所為か、いつもより大きな瞳にヒィッツは眩暈を覚える。
 と、ヒィッツの耳に男達のひそひそとした声が飛び込んできた。
「ヒィッツ様と話しておられるな。諦めるか?」「いやしかし、お話だけでも…」「確かに、名前だけでも覚えていただければ、あるいは次回に繋がるのでは」
 なるほど、美しい女にに近付きたい男達の典型的な会話である。ヒィッツにとっては変わり者の科学者であっても、他の男達にしてみればお近付きになりたい女性といったところか。このまま評判の美女を他の男に譲り渡すのも、それはそれで何だか面白くない。ヒィッツは些か子供っぽいとも思える独占欲を優先させることに決めた。
「貴様の言うとおり、少し調子が悪いようだ…外の空気にでも当たるかな」
「大丈夫ですか?私もご一緒しましょうか」
「あぁ、悪いな。肩を借りても?」
「頼りない肩で良ければ」
「ありがたい」
 ヒィッツは素早くグラスを給仕に片付けさせると、慣れた手付きでの肩を抱く。背後から男達の羨望の視線を感じ、ヒィッツは満足気ににやりと笑った。

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