こうして私は何もかも諦める

 私が選んだ訳じゃない。

 涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしたが、擦れた声でそう言った。いつもは美しく整えられている黒髪も、今は無造作に風に嬲られていた。

 眼前に広がるのは、瓦礫と、死体の山。

 は目の前の景色を信じられない気持ちで見つめていた。現実味が無かった。けれど、これは夢ではない。風で運ばれてきた異臭が鼻につくと、急に吐き気がこみ上げてきた。口を押さえてしゃがみこむ。かろうじて堪えて肩で息をしていると、上から声が鋭い声が降ってきた。
「選んだ、か。貴様も案外奢った事を言う」
 意外だな。そう言いながらシニカルな笑みを浮かべているのは、レッドという男だ。
「レッド様、奢るも何も、私は…」
!思い出してみろ。貴様には元々、選択肢など与えられていなかっただろう?」
 突然の、優しい声音。一瞬、はその優しさに縋りそうになる。
 選択肢など無かったのだ。もしも研究を放棄していたら、その時点でという科学者の存在は、簡単に消されていただろう。
 けれど、そんなのはただの言い訳でしかない。
 自身、科学者としての好奇心が無かったと言えば嘘になるし、実験段階から殺戮と破壊の可能性を秘めていたことにも気づかなかった訳ではないのである。ただ、止められなかった。止まらなかった。良いことにしか使われないのだから、とそう信じて。自分にもそう信じ込ませて。
 その結果が、これだ。
 己の我が身可愛さの精神、そして好奇心の罪深さを、はここまで来てようやく思い知らされた。しかしいくら後悔しようが目の前の凄惨たる景色は現実で、今さら変えようがなかった。
 と、レッドが急にの髪の毛を掴んだかと思うと、そのまま頭を上にぐいと引っ張られた。が痛みに顔をしかめると、レッドはお気に入りの玩具で遊ぶ子供のように笑った。嫌な男だ。
「よく見るがいい。これは貴様の作品だ」
 耳元でレッドに囁かれたが、その甘い声に反してあまりに重く圧し掛かってくる言葉には震えた。

 私の作品。私の責任。私の所為。

 嫌だった。見たくなんてなかった。が反射的にぎゅっと目を閉じると、首筋に冷たい感触を感じた。残念なことにはこの感触を知っていた。レッドの得物だ。
「見ろ」
 低く冷たい響き。殺される、とは思った。ここで死にたくはないは浅い呼吸を繰り返しながら、ゆっくりと目を開いた。
「いい子だ」
 涙で滲んだの視界の向こうで、レッドが満足そうに微笑んだ。と同時にの首筋から冷たい感触がすっと消えた。震える手で首筋を押さえると、血は出ていないようであった。しかしぞっとするあの感触は消えない。
 そんなの反応を十分に楽しんでから、レッドは再び意識を眼下の光景へと戻した。
「それにしても、美しい景色だな!そう思わないか?」
 大げさに手を広げてみせる男の仕草に、は微かな苛立ちを覚える。
「私は、思いません」
「貴様とは美的感覚が合わないな」
「…結構です」
「つれない女だな。しかし、私は貴様を気に入っているぞ?」
 思わぬ言葉に驚いたがレッドを見上げると、男の端正な顔にはいつもの皮肉さはなかった。

。私はな、貴様となら共に同じ道を歩いていけるような気がするのさ」

 まるで、プロポーズのような言葉。

 が科学者なんかではなくて、目の前にこんな景色なんて広がっていなくて、世界の裏側のことなんか何も知らなければ、迷わず男の手を取っただろう。けれど残念なことに、は科学者で、目の前には地獄のような景色が広がっていて、知りたくもなかった世界のことを知っていた。

 そんなの返事を待つ訳でもなく、レッドはそれだけ言い捨てると姿を消した。無責任な男だ、と思うと同時に、はその無責任さに寂しさよりも感謝の念を覚えた。

 何かを選ぶのなんて、もううんざりだ。

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