鞘と刃

 静けさが覆う薄闇の中、斎藤が刀を研ぐ音だけが耳に響いた。斎藤の作業はとても丁寧で、その丁寧さはが時々その刀を羨ましく思う程だ。
「私、刀って嫌いよ」
 はらりと零れた言葉に、斎藤の手を止める威力は無い。
 何よりが刀の美しさを理解していることは、斎藤、そして自身も知っていた。
 けれど。
「嫌いよ」
 が発したこの言葉も、嘘ではなかった。
「何故かね」
 斎藤の短い問いは、いつもと変わらぬ声音だ。刀を研ぐ音も、やはり途切れない。
「何故も何も。一さんなら、何でも知っているでしょう」
 が不機嫌さを隠さずに言い放つと、はは、と斎藤が声を出して笑った。何処か投げやりにも思えるその笑い方だけは、をいつも苛つかせる。
 しかし、刀を研ぐ音が消えた。
 瞬間、訪れた静寂には自身でもよくわからぬ焦燥感を覚えた。漠然と、この男を見失ってしまうのではないか、とそう思って視線を飛ばした先の斎藤は何処へ消えるでもなく、ただ静かに空を見上げていた。けれどの不安は消えない。今この瞬間も、もしかして未来を見ているのだろうか。にはわからない。
 わからないことが、酷く恐ろしい。
 の焦りと恐怖をよそに、斎藤は静かに口を開いた。
「未来が見える事と、人の心を知る事とは、全く別の物だ」
 諦めか、嘆きか。しかしその言葉を紡ぐ斎藤の声は、いつになく穏やかだ。はこの穏やかさを愛し、時に哀れんだ。
「私は人の心を知る事に関しては、どうも疎いようだ」
 そう困ったように笑われては、は素直にならざるを得ない。
「…どうして刀を嫌いかって、刀は一さんをどんどん遠い所へ連れて行ってしまうからよ」
 だから嫌いだ、とは言う。これ以上の理由など、ありはしない。

「…なぁに」
「未来がどうなるにせよ、私自身は、最後まで君と共にありたいと思っている」
 それは我侭だろうか。そうやって自嘲気味に笑う斎藤を見て、は言葉を失う。

 我侭だなんて、どうして思えようか。

 は男が手にした想像以上の運命の重さを垣間見た。

 ならば。
 遠くへ行ってしまう運命ならば。
 男を独りにせぬよう、その果てまで共に付いて行こう。

 そう、決めた。

>> 戻る <<