巣立ち

 バートンがいつもの"巣"からシールドの基地内を見下ろしていると、とん、と背中に重みを感じた。暖かくて自分よりも小さな背中の持ち主のことは、振り向かなくともわかる。だ。また何かやらかしたのだろう。この娘は落ち込むといつもこうだ。決まってバートンに自分の背中を預けにくる。
 バートンはに声をかけるでもなく、黙って動かずにいた。はそれが彼の優しさであることを知っている。しばし無言の空間を共有した後、がようやく口を開いた。
「あのね、クリント」
 小さいけれど、意志の強さを感じさせる声。口に出したことはないが、バートンはこの声を好んだ。
「私、もっと強くなりたい」
「努力、してるだろう」
 ナターシャには及ばずとも、の実力は既にかなりのものだ。フューリーがの成長に驚いたと同時に、賛辞の言葉を贈ったのは記憶に新しい。バートン自身も先日にせがまれて稽古をつけた際に、その実力を肌で感じている。そしてそうなるまでのの努力を、誰よりも知っていた。
「クリントにそう言ってもらえると、嬉しい。ありがとう」
 の言葉はいつもまっすぐだ。バートンには、時々それが無性にむず痒い。それは決して不快ではなく、むしろ心地良いものでさえあるのだが、心が落ち着かなくなってしまうのもまた事実だ。
「礼を言われるようなことじゃない」
 多少わざとらしいくらいのぶっきらぼうな言い方に、がくすくす笑うのが背中越しに伝わってきた。この娘を相手にすると、どうも調子が狂ってしまう。
「ねぇ、クリント。私はいつだって貴方に感謝してるし、それに…」
 言いかけて、は口を噤んだ。何を言おうとしたのか、バートンにはわからない。ただ、次にの口から出た言葉は存外明るく、しかし確かな強さを持った言葉だった。
「でも、私、今よりもっと強くならなくちゃ」
 ふと、背中が軽くなる。バートンが首だけ動かしてを見ると、立ち上がり際に小さく微笑んでいた。バートンはその微笑みを愛している。けれど、背中から熱が離れていくこの瞬間だけは、いつも少しだけ寂しさを覚えるのだった。

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